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原町製紙について

 (本文註)
①江戸時代天保年間の原宿は、戸数398、人口1,939人、本陣1、脇本陣1、旅籠398であったという(『静岡県の歴史』若林淳之 山川出版1980年による)
②沼津市歴史民俗資料館の鈴木裕篤館長によると、愛鷹山系の伏流水が南斜面を海岸方向に流れていくが、海岸近くまでくると砂丘層の所でせき止められかたちになり、その手前の浮島が原一帯周辺で、地表に自噴することもあるという。また、この周辺では、人工的に井戸を掘る場合は、さほど深く掘らなくても水が得られるという。
③富士市域では当時、大淵や今泉、今宮、石坂、吉原、中里など各地で和紙の原料となる三椏が栽培されたり、和紙が漉かれたりした。その後、三椏を原料にした『駿河半紙』は公表を得たが、三椏価格が不安定になったり、粗悪な『駿河半紙』が市場に流れたり、、東京などからの富士市域外部の資本による製紙工場が操業を開始したりしたことなどを背景にして、三椏栽培と零細な和紙漉きは徐々に姿を消していった。このながれと入れ代わるように、地元有志の資本による機械抄き和紙工場が誕生していった。
④このへんのいきさつについては『吉原市史中巻』や『富士市の製紙業』富士市立博物館編、『紙の国ふじ百年史』鈴木富男などに詳しく述べられている。
⑤この佐野熊ナプキンについては、『吉原市史中巻』や「ある町工場のメイドインジャパン」内田昌宏『駿河』67号駿河郷土史研究会2013年などを参照していただければ幸いである。
⑥佐野熊ナプキンは色彩輪転機の特許を持っていた。原町製紙は本文で後で述べるように巻紙切り機の特許を持っていた。
⑦『紙のなんでも小事典』によれば、コッピー紙とは明治時代に輸出された和紙の種類のひとつで、楮を原料にして、ごく薄く漉いた。現在のトレーシングペーパーのように、これを上に置いてなぞることで複写した。タイプライター用紙として用いられることもあったようだ。
⑧この点については「静岡県政の百選 その歩みと群像 83」静岡新聞 昭和5(1976)年8月14日付けの記事にふれられている。
⑨写真資料⑤~⑩を参照。
⑩写真資料⑪~⑰を参照。
⑪写真資料⑱~㉔を参照。
⑫大昭和製紙社内報「紙と人のながれ」1959年の「益田稔翁」の項を参照。
⑬先に紹介したように、『紙の国ふじ百年史』鈴木富男や『富士市の製紙の歩み』鈴木富男などに詳しく述べられている。
⑭本文で前述した『東駿ニュース』「原町徳さんハンケチ業の現況」の記事を要約。
⑮写真資料㉕~㉖を参照。
⑯写真資料㉗を参照。
⑰昭和30年代の石川地区の地図を見ると、現在の旭産業の場所には、近くを流れる川の名前に由来すると思われる「駒瀬川製紙」という製紙会社名が見られる。今回の調査では、旭産業に譲渡される前の原町製紙と駒瀬川製紙との関連や変遷がはっきりとしなかった。この点については、今後の調査課題のひとつである。
⑱長年の製紙技術と知識を生かした特殊シートの種類のひとつで、使用事例としては魚の入った段ボール箱の下に敷いたり、荒巻鮭や松茸などの高級食材を包装したりする。漁業協同組合などからの受注があるという。
⑲旭産業のミネラルウォーター製品の中で、例えば、「富士の恵みの天然水 Mt.Fuji」(500ml)の成分表示を見ると、ナトリウム0.66mg、カルシウム0.92mg、マグネシウム0.32mg、カリウム0.13mg、ph8.1、硬度36mg/L、バナジウム30ugとなっている。一般販売用の他に、沼津市の防災対策用ミネラルウォーターの生産なども手がけている。写真㉘~㉚を参照。
⑳原町加工紙では、ティッシュペーパーの箱入りサイズを事例にとると、「20組40枚の198mm×97mm」や「70組140枚の198mm×233mm」などがあり、日用品用や景品用などの目的や、設定価格によってパルプの純度を調整し、発注者の多様な要望に対応している。同じ仕様の製品でも輸入パルプのコンディションや、季節に左右されることがある湿度のちがいによって、出来上がりの味わいが異なることがあるが、抄紙機や加工機などを調整しやすいのが、中小企業のよさであるという。

 (主要参考文献・資料)
〇『静岡県原町誌』原町教育委員会 1963年
〇『吉原市史中巻』富士市 1968年
〇「懐かしの「ドロンオーク」-原町往年の花形手工業-」内田昌宏「沼津市歴史民俗資料館だより」
  Vol.40 No.3通巻208号 2015年
〇「原町製紙概要」パンフレット(1996年版か)原町製紙株式会社
〇『富士市の製紙の歩み』鈴木富男 1989年
〇『富士川水系の手漉き和紙』富士市立博物館 1989年
〇『紙の国ふじ百年史』鈴木富男 静岡県紙業協会 1994年
〇「一枚の看板が物語る町工場の軌跡―吉原町・佐野熊ナプキン―」内田昌宏『駿河』67号 駿河郷土史研究会 2013年
〇「沼津における近代的繊維産業についての一考察―東京人絹を中心に―」内田昌宏『沼津市博物館研究紀要36』2012年
〇『紙のなんでも小事典』紙の博物館編 2007年
〇『帯笑園撮録』帯笑園保存会 2015年
〇『原小百年史』沼津市立原小学校 1986年
〇『全国製紙工場綜覧』紙業経済通信社 昭和10年
〇『日本紙業綜覧昭和12年年版』王子製紙販売部調査課
〇『日本紙業大観』紙業日日新聞社 昭和16年
〇大昭和製紙社内報「紙と人のながれ」1959年
〇「静岡県政の百年 その歩みと群像 83」静岡新聞昭和51年8月14日記事

 (追記)
 今回の調査では、原地区に長年在住して郷土史に関心をもち続けている方や原町製紙にかかわりのある方、沼津歴史民俗資料館のスタッフなど以下にお名前をご紹介する方々に貴重な資料を見せていただいたり、当時のお話をうかがったりする機会を得たことに、この場をお借りして感謝を申し上げたい。今回の調査を通して新しい調査課題がいくつかでてきたが、またの機会にさらに調査に取り組み、報告したいと考えている。
  〇望月宏充 〇山本幸男 〇石塚久美子 〇間野篤 〇宮口唯幸
  〇三好純夫(故人) 〇内田慈子 〇原町加工紙 〇旭産業株式会社
  〇沼津市歴史民俗資料館長鈴木裕篤 〇富士山かぐや姫ミュージアム
                          (敬称略・順不同)